悲観主義的な考えも必要?人生をより良くするために

悲観主義的な考えも必要?人生をより良くするために

ポジティブすぎるのも早死の条件

シンガポール・聯合早報をソースとするニュースとしてここ最近に話題になっているのが「早死しやすい人の条件」という記事です。

その条件として挙げられているものとして「孤独である」「笑顏が少ない」といったいわゆる「暗い性格」を示すものがある一方で、「ポジティブすぎる」という項目が一つ入り込んでいます。

他の条件が比較的世間的に内向的性格の人にありがちなことだけなのに、一つだけ紛れている「ポジティブすぎる」には多くの人が違和感を覚えるところです。

なぜ「ポジティブすぎる」のが早死につながってしまうとかというと、普通人は何か新しい行動をするときには「失敗するかもしれない」といった若干の不安を感じながらしていくのに対し、ポジティブすぎる人はそうした不安を感じずとりあえず飛び込むということをしがちだからです。

極端な例ですが、例えば壊れそうな橋が目の前にあって向こう岸に行く用事があるとき普通の感覚なら「急いでいるけどここを渡るのは危険だから遠回りしよう」という考えになるところでポジティブすぎる人は「大丈夫だ!なんとかなる」と根拠なく思い込み突っ込んでいくという行動をとります。

結果的にうまく行けばよいのですが、そうした無鉄砲な行為というのは得てして自分を大きく傷つけることになってしまいますのでそこで事故や事件を起こして亡くなってしまうということも少なくありません。

悲観的であるということは慎重であるということ

逆の考え方をすると、ポジティブすぎる性格でないということは目の前の危険を自然に回避することができる「石橋を叩いて渡る」タイプであるということになります。

悲観的すぎる人を揶揄する言葉に「石橋を叩いて壊す」というものもよく使われますが、そのくらい慎重であるということは場合によっては悪くない選択になることもあります。

また例え話になりますが、ある日知人の知人といった微妙な関係の人から「絶対に儲かる話があるんだ」と持ちかけられたらどうするでしょうか。

儲け話というのは嬉しいものですが、いかにも怪しげな話として持ちかけられた時にはつい「本当は騙そうとしているんじゃないか?」「実はうまくいかないんじゃないか?」といった考えが浮かんできます。

そこで「いや!リスクを取らなきゃ儲けはない」と腹をくくるのも一つの考え方ではありますが、しなくてもよい余計なリスクをわざわざ背負い込む必要もないと言えます。

そもそも悲観的な考え方をする傾向のある人は何らかのリスクを自分が背負っているということ事態が既にストレスになるので、仮に値上がりをしても心が休まらないことになります。

あえてリスクを避けるということができるのは悲観的な考え方ができる人ならではのメリットと言うこともできるのです。

過剰な期待をしないことが幸せにつながる

もう一つ悲観的な考えをする人でよいこととなるのが、人生に対して「過剰な期待をしない」ですむということです。

楽観的な考えを持った人の場合、自分の努力が小さなものであっても「世間は自分をもっと認めてくれるはず」「いつかきっと大成功をすることができるはず」といった根拠のない期待を抱いてしまいがちです。

しかしそうした願望が実現する可能性は非常に低く、うまくいかなかったときの落胆は期待をしていなかった時以上になります。

その点普段から悲観的な考えを持っている人の場合は自分の行為への見返りを過剰に考えないため、結果的に落胆を感じにくく、逆にうまく認められた場合の喜びが多くなります。

自らのことを卑下するというのはよくないことですが、悲観的に世の中をとらえるのは決して悪く無い一つの個性として捉えてみてはどうでしょうか。